すごいお礼シリーズ~寄付のお礼が映画の出演権!セレブとあえる権利!!
2020年10月22日
コロナの影響でオンラインでの寄付集めはメインフレームとして様々な可能性をみせているが、アメリカでは「ALL IN CHALLENGE」という寄付サイトがスゴイ人気を見せた。
■ALL IN Challenge
これは外出制限や休校・失業で苦しむ人へ食糧支援をするために実業家のマイケル・ルービン氏が立ち上げたインターネットチャリティで、著名人が体験を提供し、10ドル以上で抽選券を購入して、集まったお金を寄付する仕組みだ。
同氏はNBAのフィラデルフィア76ersの共同オーナーで、米4大スポーツの公式ユニホームを製作するファナティクスの創業者。ルービン氏は「究極のスポーツファン体験」として、NFLのスーパーボウルに20名招待の他、NBAファイナルやMLBのワールドシリーズ、そしてゴルフからはマスターズ・トーナメントと、最も入手困難なプラチナチケットを出展した。
タイガー・ウッズは自身が立ち上げたチャリティマッチである「ヒーロー・ワールドチャレンジ」に招待して初日のラウンドを一緒に回ったり、パッティングの指導をしてくれる。他にもノバク・ジョコビッチ全米オープンの観戦とニューヨーク旅行や一緒にテニスをする体験や、アレックス・ロドリゲスは1時間マンツーマンのバッティング練習と一緒にランチ。デビット・ベッカムは5対5のチームを組んで試合をして、一緒にランチなど夢のような提供が相次いでいる。他にもマーチンスコセッシ監督の新作で、ロバート・デ・ニーロとレオナルド・ディカプリオと一緒に共演でき、現場で1日一緒に過ごしたり、プレミア試写会に出席できるものや、数多くの有名人が出演するテレビショーに参加して有名スターと面会できる、ミュージックビデオに参加できる、ジャスティンビーバーの家に行って一緒に歌う、俳優のクリス・プラットは、募金した人にジュラシック・ワールド最新作で恐竜に食べられる役をしてもらうというプレゼント、クリス・エバンスは、アベンジャーズのメンバーとゲームをする権利をプレゼント等が用意されている。
形式は入札による“オークション”と、懸賞式の“スイープステークス(宝くじのような抽選券)”
参加資格はアメリカまたはカナダ在住で、18歳以上の人に限られるが、何とかしなければいけないと立ち上がったセレブたちに対して応えようと、4/1の開始からわずか72時間で1300万ドル(約14億円)が寄せられて、最終的には5985万ドル(約63億円)が集まった。
アメリカではチャリティにセレブが立ち上がることはとてもよく知られていて、復興支援のチャリティコンサートだけでなく、チャリティ番組を緊急放送して、支援を呼びかけ、セレブが全員で電話応答に当たって、チャリティの申込をしてきた電話に「ありがとう」と応答する夢のような時間が過ごせる。お礼状だけでなく、温かい声の応答が体験価値として相手に届くのだ。
■ハリケーン「サンディ」復興支援チャリティコンサート
■2つの大きなハリケーンの被害者救援のチャリティ番組「Hand in Hand」
こうした大規模のチャリティに対して、小さな声であっても心にしみる機会がある。
「難民を助ける会」が東日本大震災に際して、寄付した方々へ被災地の皆さんからお礼のお手紙をいただきましたと、お礼状を一生懸命書き込んでいる子どもたちの姿と共に紹介している。その姿を見ているだけでも、心にジーンとして、涙をぬぐってしまう。このようにお礼状だけでなく、画像での報告で伝わってくるものがある。
■東日本大震災:お礼のお手紙が届いています-特定非営利活動法人 難民を助ける会
また寄付のお礼が生み出したストーリーもある。
「おてらおやつクラブ」は、もともとお寺に寄せられたお布施のおやつやお菓子を「おすそわけ」として子ども食堂等に役立ててもらう橋渡しをしているが、東京の「未来食堂」からの寄付をきっかけに、毎月の「寄付の日」(最終火曜日の売上の半分を寄付する)で集まったものを12月に寄付先として「おてらおやつクラブ」へ贈られた。そこから、おてらおやつクラブの活動を食堂の利用者に知ってもらえるように、寄付の日にリーフレットと共にお客様へお坊さん手書きのカバーレター(おすそわけに同封する手紙)を実際にお菓子(おさがり)と一緒にお渡しするようになった。
「まずは自分が与えられて満ち足り、その上で人に施す。当たり前のことですが、その当たり前にきちんと取り組めたこと、『誰かが気にかけてくれている喜び』をお客様にお届け出来たことを、とても喜ばしく感じています。『おてらおやつクラブ』の理解無くては実現できない試みでした」
■【お礼】未来食堂さんからのご寄付 – おてらおやつクラブ
寄付月間が今年も始まる。どんな新しい寄付のストーリーが生まれていくだろうか。そのバトンを受け取った人がまた新しいバトンを受け渡していくように感じている。